悔やんでも悔やみきれなかったあの日。
本日から数回にわたり、
看護師時代から現在にいたるまで
どんなことがあったのか
なぜカメラマンになったのかをお伝えして行きます。
実は昔はこども病院の看護師だった私。
今日はなぜ看護師になったのかをお伝えします。
私の祖父は私が小さい頃に
祖父の家で突然倒れ、
墨東病院という都立病院へ緊急入院しました。
顔は真っ黄色になり、
体は硬直する祖父。
入院してすぐに「肝硬変」ということがわかり
余命1週間と告げられました。
一度は倒れた祖父ですが、
入院してすぐにいつもの祖父に戻りました。
そんな祖父をみて、
「いつものおじいちゃんだ。もう大丈夫だ」
と安心してしまいました。
余命1週間がどうしても信じられなかったのです。
その時わたしは中学3年生。
引退試合の直前でした。
毎日吐くほど走って練習して獲得したレギュラー。
負けず嫌いの私はどうしても手を抜くことはできませんでした。
試合まで毎日夜遅くまで練習して
ついに当日。
持っている力を全て出しきれました。
試合が終わってすぐに、
母からすぐに病院に来て!と言われました。
私は試合が終わったし、
おじいちゃんに会えるなー。
元気かなー。
しか思っていませんでした。
今思えば本当に能天気でした。
病院につくと、
緊急入院した部屋ではなく、無菌室。
もう祖父とはわからない顔に
ショックでショックで・・・
全く話もできず
呼吸する音だけが聞こえました。
その日は一度家に帰りました。
けれども、その日から病院に行くのが怖くて怖くて。
でも数日後に「本当に危ない」と言われて
しぶしぶ病院へ向かいました。
すぐに祖父は亡くなり、
病院に行けなかった自分を何度も責めました。
泣いてばかりの私。
どうしていいかわかりませんでした。
そんな時
私のそばにきて師長さんが一緒に泣いてくれたのです。
初めて会った私に対して
同じ気持ちになって
一緒に泣いてくれる
それが嬉しかったのです。
私は、人の痛みを一緒に共感してくれる師長さんに
憧れを抱きました。
その時から私は看護師になりたい!
と強く思うようになったのです。
そして猛勉強を始め
公務員試験を受けて念願の都立病院へ
入職したのです。
でも、そこは私が思い描いていた世界とは
全く違ったのです。