起業秘話part1
本日はよくお客様から
私の起業秘話がすごく勇気付けられる
と教えて頂いたので
何回かに分けて、
なぜ起業しようと思ったのか?から
現在に至るまでを書いてみようと思います。
実は私が小児病院の看護師だった
ということをご存知でしょうか?
祖父が亡くなって、
私と一緒に泣いてくれた看護師さんをみて
私も人に寄り添い、
思いを共感できる人になりたい!と思い
なんと超難関と呼ばれている
都立のこども病院への受験を決めます(笑)
もともと子供は好きでしたが、
勉強は苦手だった私。
成績もぱっとしない。
全くできないわけでもなく、
かなりできる方ではない。
勉強できる姉から
いつも小馬鹿にされておりました(笑)
ですが、
新しいことに挑戦することが
何よりも好きで、
それを達成しないと
許せない超負けず嫌いだったので
誰がなんと言おうと
都立のこども病院を目指したのです。
まずは、看護大学への受験。
チャレンジャーな私は、
聖路加国際大学(偏差値60)
北里大学(偏差値60)
日本赤十字看護大学(偏差値59)
などなどそうそうたる大学を狙い
一応滑り止めとして
某看護専門学校(偏差値55)
も受けておきました(笑)
当時は、
大学には入れなかったら
絶対に浪人する!!!!!!
なんて言っていたのに、
あっさり不合格(笑)
負けず嫌いな私。
でもみんなより1年遅れるのも
許せませんでした(笑)
そこで渋々、専門に行きましたが
夢は絶対に諦めませんでした。
専門学校1年生の時から
都立の子供病院だけを目標に、
毎日毎日勉強の日々です。
そして3年生になり、
クラスメイトは付属の病院を
希望するのに対して
私は先生へ「受験したい!!!!」
と言って「無理です!」しか言われず
全力で先生に止められ
何度も呼び出しをくらい、
なぜか私の成績を悪くされたり(笑)
でも諦めません(笑)
諦めが悪いのが私、それがきっと良いところ!
と思い込み頑張りました。
当時は、受験するなんて
60人程いても1、2人。
国家試験の勉強をしながら
私の場合は、公務員試験の勉強も
並行してやっていたのです。
今考えれば、
両親だけが味方だったと思います。
毎日蕁麻疹が出ていても、
夜遅く泣きながら勉強していても
「がんばれ」
と声をかけてくれたのは
両親だけでした。
姉はひっそり応援していた…はず(笑)
そんな3年間を送り、
今でも私は看護の友達からすれば
奇跡の産物です(笑)
公務員試験当日。
筆記はおそらく大丈夫。
小論文はできたはず!
実は小学生のときに弁論大会で
「私が看護師になりたいと思った瞬間」
という祖父が亡くなった時の気持ちを
弁論で読んだところ
学校代表に選ばれ都大会へ
出場した経験があります(笑)
なので、
なぜか文章を書くことには
自信があったのです。
そして難関の面接!!!!
緊張しいな私が、
人前に立って話せるのか・・・
結果全然話せず、
自分でも何を言っているのか
全然わからず・・・
悔しい思いをしながら
合格発表を待つのでした。
長くなりそうなの、
一旦ここまで。
果たして私は合格できたのか?
はまた明日以降書きますね!
引っ張ってすみません!
また明日^^